平成18年度後期「食品開発学特論」

18年12月14日(木) 図書館視聴覚ホール 3限目 13:00-14:30
岡村英喜氏 味の素株式会社 食品カンパニー 調味料開発・工業化センター
「味の素 における調味料の開発・工業化 −独自素材による差別化戦略」
受講登録者数:95名

実施報告

 現在では日本語の「うま味」は第五の味覚として、「UMAMI」という国際語になるに至った。また、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の基本味では表現しきれない「おいしさ」の一つである「こく」についても、味の素(株)では口にふくんだとき口腔、鼻腔内で感じる味覚・嗅覚が「コク味」であると定義し、その「コク味」の本質の解明、及び創出研究に注力している。本特論では味の素(株)独自のコク味素材の開発を通じた商品の差別化戦略について解説され、受講学生に対して、本教育プログラムにおいて研究開発における実践性と研究の展開力の必要性を理解させるなどの教育効果が高かった。

講義資料

九州大学食品開発学特論要旨

2006年12月14日

味の素㈱における調味料の開発・工業化

-独自素材による差別化戦略

味の素㈱ 食品カンパニー 
調味料開発・工業化開発センター
岡村 英喜

1. はじめに

「おいしさ」とは食べるときに味そのものだけでなく彩り、雰囲気、その日の体調など様々な要素に影響されて感じるものである。1909年、当社はグルタミン酸を“うま味調味料”として、世界で初めて商品化した。そして今では、世界100カ国以上で販売し90年以上に渡り、「おいしさ」の提供により世界の人々の食生活に貢献している。現在では日本語の「うま味」は第五の味覚として、「UMAMI」という国際語になるに至った。また、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の基本味では表現しきれない「おいしさ」の一つである「こく」についても、当社では口にふくんだとき口腔、鼻腔内で感じる味覚・嗅覚が「コク味」であると定義し、その「コク味」の本質の解明、及び創出研究に注力している。

本特論では他社が持ち得ない独自コク味素材の開発を通じた当社商品の差別化戦略について概説する。

 

2. 新しいコク味の創造 

 ここでは筆者が多くの同僚とともにその開発を担当した2つの発酵調味料の開発上のポイント、及び「新しいコク味」の効果について述べる。

2-1 新規コク味素材開発のスキーム1)

新たな調味料素材を開発する際には多くの機能別セクターの関与が必要不可欠となる。そこで、我々はメンバー間で明確なビジョンを共有化し全体最適を優先させる事を必須とするプロジェクトマネージメントを採用している。

次に新規素材とは文字通り同じ素材が世の中に存在しないため、基盤研究者の作製したサンプルを商品開発者、及びマーケティング担当者が既存市場の受容性に応えられるか否かを冷徹に判断することのみならず、新たに市場を開拓していくことが商品の差別化にとって非常に重要になる。

さらに適正コスト、安定生産を実現する生産技術の確立、知的財産権の確保、最終的にお客様の安心・安全の確保という順序を踏む。

2-2 液体麹法を用いた新規コク味素材の開発

 同コク味素材の開発上のブレークスルーポイントは麹菌の液体培養における特定酵素の高生産、及び調味料評価技術を駆使した同素材の更なる高付加価値化であった。 

2-2-1 グルタミナーゼの高生産 

 この素材のコンセプトである「自然なうま味・コク味」の発現には小麦グルテンに著量に含まれるグルタミンをグルタミナーゼにより速やかにグルタミン酸に変換する必要があった。当初は市販グルタミナーゼ製剤の利用を検討したが、適正コストの実現にはグルタミナーゼの高生産による自製化が必須であるという大きな課題に直面した。この課題に対し我々は、①高活性麹菌の育種、及び②発酵プロセスの開発を平行実施することで以下の如く早期解決を図った。

第一に「高活性麹菌の育種」に関しては、担当者の執念による数万回に及ぶスクリーニングを経て我々はその取得に成功した。

第二に「発酵プロセスの開発」については培地検討の結果、ブドウ糖、ショ糖など多くの炭素源ではグルタミナーゼ活性は低く、乳糖、マンニトール等において高活性を示すことを確認した。そこでグルタミナーゼ活性の向上効果が認められた乳糖の残存量と同活性の挙動を経時的に追跡した結果、乳糖の資化は培養中期からゆっくりと開始され、その後暫くして同活性の伸張を認めた。その結果、炭素源の資化の遅さがグルタミナーゼの高発現に深く関与しているという仮説を立てるに至った。そこで、乳糖の構成単糖で工業的に使用される機会の多いブドウ糖の添加速度によるグルタミナーゼ活性への影響を追跡した結果、同活性は「初期培地に一括添加」では顕著に低下したが、その一方で培養中期から少量ずつ連続添加することで飛躍的に向上することを見出した。これらの結果から、グルタミナーゼはカタボライトリプレッションを受けること、ブドウ糖の培養中期からの少量添加でカタボライトリプレッションは解除可能であることを発見した2)。その後、共同研究者らにより麹菌のグルタミナーゼ遺伝子の塩基配列が決定されるとともに、カタボライトリプレッションに関与するCREA結合配列をその上流に確認することが出来た3)。当時Aspergillus 属のグルタミナーゼ発現制御機構

に関してはPatricia M. Shafferらによりアンモニア、及び酸素によってその発現が抑制されるという報告のみであったが4)、我々は

カタボライトリプレッション解除によるグルタミナーゼ高生産の機作を明らかにするとともに、それらの知見を応用することにより工業レベルでの製造を可能とした。

2-2-2 保存安定性の確保

 アミノ酸を高含有する調味料の場合、その保存安定性を向上させるには製造中に如何にアミノカルボニル反応を抑制できるかが重要である。すなわち開発当初、我々は反応相手となる還元糖の除去を最大の課題と捉えた。そこで、酵素分解工程において蛋白質をアミノ酸に分解すると同時に小麦グルテン原料に含まれる還元糖源を麹菌に資化させることにより大幅な還元糖の除去に成功した5)。しかしながら、後の濃縮工程で原因不明の褐変反応が進行し濃縮液が顕著に褐変してしまった。工程解析によりこの褐変現象はグルタミンが脱アミドする際に生成したアンモニアと分解後に少量残存するブドウ糖との反応に起因することを突き止めた。そして濃縮前にpHをアルカリ性にし、濃縮と同時にアンモニアを蒸散させることにより極めて加熱、及び酸化安定性の高い調味料素材を獲得した6)

2-2-3 同コク味素材の呈味効果、更なる高付加価値化、及びキー物質の特定

 取得した同コク味素材には強いうま味とともに、バランスのとれた自然なコク味があった。また、トマト、ミルクの味・風味を増強する機能も有していた。加えて、特定の酵母エキスを配合することにより同コク味素材の機能が強化され、先味・パンチ、濃厚感、後味・のびを増強させることができた。現在その利用範囲は、つゆ・たれ類、佃煮関係、漬物関係、ねり製品類、ハム・ソーセージ類、スープ・ソース類、調理加工・冷凍食品・惣菜類、レトルト食品類、スナック類と食品のほぼ全域に及んでいる。

上記の商品開発と平行させ、我々は同コク味素材の「コク味」の本体の追跡を開始した。その結果、Val-Asn-His-Thrを主鎖とする2つの新しい高コク味ペプチドを発見した7)。これらの量産化が今後のさらなる商品の差別化に繋がると考える。

2-3 固体麹法を用いた新規コク味素材の開発

 当社の麹菌研究の歴史は1970年代に遡る。それらの技術蓄積から2000年には上述の如く液体麹法を用いて新規コク味素材を開発した。そこで、本節では固体麹法を用い原料、発酵時間、発酵温度等を厳密に制御して得られた新たなコク味素材の呈味特性とその機作について述べる。

2-3-1 効果、及びその機作解析

 新しく獲得したコク味素材は、だし、味噌などの風味を顕著に豊かにするという大きな付加価値を持っていた。ここでは、麺つゆにおいて「だし感」を顕著に強化するという機能について紹介する。

大富、北倉らは醤油中に含まれるイソブチルアルコール、ノルマルブチルアルコール、イソアミルアルコールが麺つゆの「だし感」をマスクするため、その低減が必要であると報告している8)。我々が開発したコク味素材は既にこの要素を満たしていた9)。しかし、それだけでは説明しきれない強烈な「だし感」強化機能を有していたため、次に我々はGC/匂いかぎ法、GC/MAS法にて同コク味素材を詳細に分析した。その結果、酢酸が「だし感」マスクに関与することを明らかにした10)

2-3-2 競争力の評価

次に、同素材に意図的に酢酸を添加し麺つゆ系にて官能評価を行った結果、「だし感」をマスクしない麺つゆの酢酸濃度は全窒素当たり500ppm以下であることがわかった。この知見をもとに市販の麺つゆ23種類の酢酸を定量したが、同結果を満足させる商品は存在しなかった。この観点からも新たに開発したコク味素材は競争力を有するといえる。

3. さらなるコク味創出に向けて

3-1 独創性ある酵素の探索

 いうまでもなく麹菌を用いた新たなコク味の創出には独創性ある酵素の存在が欠かせない。我々は継続的に特徴ある酵素の研究を行っている。その一例として当社が独自で発芽大豆より単離しその遺伝子配列を明らかにしたアミノペプチダーゼGXの情報をもとに、A. nidulansA. oryzaeよりゲノムDNA、cDNAをクローニングした(pepE)。さらにA. oryzae pepE cDNAを高発現プロモーター下に連結し、pepE高発現ベクターを構築してA. oryzaeに導入した。高発現株を小麦フスマ培地で培養し、培養抽出液からPepEを精製して酵素学的諸性質を解析した。高発現株から精製したPepEを用いて、様々なペプチドに対する分解活性を解析したところ、Zn2+またはCo2+存在下でLeu-pNAを分解することを見出した。また、本酵素は食塩存在下でLeu-pNA分解活性が促進されることから、好塩性酵素である可能性が推定された。以上の結果から本酵素はこれまでに報告のない新規ロイシンアミノペプチダーゼであることが判明した11)

我々はこのようにして得た多くの独創性ある酵素を総合的に評価し、新たなコク味素材の開発に繋げるべく研究を行っている。

3-2 その他新規コク味物質の探索

 当社では前述した麹菌を用いたコク味調味料の開発のほかにも、様々なオリジンからのコク味物質の探索を行っている。その一例として、牛肉の熱水抽出物からの新規コク味物質の探索を紹介する。当社はこの探索を通じてコク味N-(4-methyl-5-oxo-l-imidazolin-2-yl)sarcosineを発見した。コンソメは煮込み時間が長ければ長いほど美味しいといわれるが、この物質はコンソメの加熱時間の増加に伴って、顕著に増加する傾向にあった。まさに、同物質はコンソメのキーとなるコク味物質といえる。 

 

4. おわりに

 本稿では独自のコク味物質の創出による商品の差別化について紹介致しましたが、聴講者である学生諸君にもご自身のコア技術とは何かを明確にされ、まずはご自身の差別化を図られたい。そしてそのコア技術を通じて、広く社会貢献されんことを期待致します。

 

5.参考文献

1)     岡村 英喜:平成15年度糸状菌遺伝子研究会 第24回例会

2)     岡村 英喜ら:2000年度日本農芸化学会大会、講演番号2F326β

3)     Koibuchi K. et al:Appl Microbiol Biotechnol., 54(1), 59-68(2000)

4)     Patricia M. Shaffer et al:Mol Gen Genet., 212, 337-341(1988)

5)     岡村 英喜ら:特開2000-014394

6)      長崎 浩明ら:特開2000-228955

7)      岩崎 剛ら :WO2004/096836

8)      大富、北倉ら:特開平5-115261

9)      二宮 大記ら:特開2004-201678

10)   平井 佐知ら:特開2004-187561

11)   鯉渕 恭子ら:第2回糸状菌分子生物学コンファレンス(2002)

12)   島 圭吾ら:Journal of Agricultural and Food Chemistry,46,1998

 講義風景