研究概要

研究室体制

当研究室は、水産生物の資源増養殖、持続的利用および多様性保全の重要な基盤となる水圏動植物(魚類と藻類)の生態・遺伝的特性の解明およびその多様性の創出・維持・変動機構に関する教育研究を推進することを目標としています。現在の当研究室の研究は、小北智之教授、栗原暁助教、望岡典隆特任教授・松重一輝特定プロジェクト助教の3つのグループによって展開されています。小北教授のグループでは「魚類の生態ゲノミクスや進化行動生態学」の研究を、栗原助教のグループでは「藻類の系統分類学や保全生物学」の研究を、望岡特任教授と松重特定助教のグループでは「ニホンウナギの生息環境改善」に関わる研究を主として実施しています。なお、小北教授と栗原助教の研究領域での学部生、大学院生、ポスドクの受入は可能ですが、望岡特任教授と松重特定助教が実施している研究テーマは、全国内水面漁業協同組合連合会の受託研究として実施しているもので、このテーマでの学生の受入はできません。

現在実施中の研究プロジェクト(小北)

私の基礎研究上の大きな興味は、伝統的な魚類学の記載を出発点として、魚類に見られる多様で興味深い表現型の機能、および表現型多様性(特に生態的・行動的多様性)や種多様性がどのようなプロセスで、そしてどのようなメカニズムで創出されたのかの理解にあります。この問いに迫るためには、現代生物学研究のさまざまな研究アプローチ、つまり生態科学、生命科学、ゲノム科学のアプローチを統合して研究することが極めて効果的ですので、ミクロからマクロまで必要な研究手法は積極的に導入する姿勢で研究を進めています。なお、研究上の問いの革新性があり、上記のような統合的アプローチが適用可能な魚類であれば、以下に示されているモデル系以外を自身の研究対象にすることは可能ですので、ご相談ください。

魚類の繁殖行動戦略に関する行動生態ゲノミクス

魚類の繁殖システムや雌雄の繁殖行動戦略は極めて多様化しており、近縁種間や集団間においてさえ異なることが珍しくありません。それではこのような本能行動の多様性はいったいどのようなメカニズムで進化してきたのでしょうか。行動生態学の観察や理論をベースに、行動内分泌学や進化遺伝学アプローチを駆使して、このような行動の多様性創出機構を統合的に理解しようとしています。トゲウオ科魚類のイトヨ類は、ティンバーゲン以来の動物行動学の伝統があり、現在ではゲノム情報が充実した進化生物学のモデルでもあること、さらに多様な繁殖行動戦略を示す集団が北半球の世界各地に存在することから、このような行動生態ゲノミクスの研究においても最適な対象と言えます。現在、イトヨ集団間に認められる種内変異及びトゲウオ科に認められる顕著な種間変異を利用して、雄の繁殖縄張り行動発現の多様化機構を追究しています。さらに、繁殖行動形質に顕著な多様性が知られているカワハギ科魚類を対象として、子の保育行動の多様化機構に関する研究も実施しています。このように,遺伝子レベルから行動生態レベルまでをつなげて雌雄の繁殖行動戦略の適応進化機構に迫っています。

浅海性魚類における顕著な種内・種多様性の創出機構

海洋、特に浅海域には豊富な生物多様性が存在しますが、海にはなぜこのような多くの種が存在するのか?、そしてその多様性創出のプロセスやメカニズムには不明な点が多く残されています。下記の2つの現象を対象とし,生態ゲノミクスのアプローチを駆使することで浅海域における魚類の適応分化と種分化機構に迫ります。

広域分布魚の適応的集団分化機構

海洋環境では浮遊生活期に海流により広域に拡散する大きな潜在性が存在します。祖先集団から少数個体が新しい生息地へ移住した場合、移住後に強い遺伝子浮動を受けるとともに、移住地の異なった物理化学的・生物的環境条件による強い自然選択圧が作用すると考えられます。その結果、集団間の遺伝的交流が完全に制限されない状況下であっても、地域固有の適応形質をもつ遺伝的集団が形成されている場合がありえます。これは「遺伝子流動存在下での局所適応」と呼ばれる現象ですが、このような環境適応と関連した種内の遺伝子型の地理的遍在パターンの理解は、海洋生物の保全や水産育種素材としての利用において重要な示唆を与えます。熱帯域に起源を持ち、高緯度の温帯環境にも進出した超広域分布種は、この問いの良いモデル系であり、現在、クマノミ(clarkii種)とソラスズメダイの2つのモデル系と対象とした研究を進めています.

浅海性魚類の生態的種分化機構

一般に海洋は地形的な閉鎖性に乏しく、典型的な異所的隔離によってのみで莫大な多様性が生み出されたとは考えられません。特に、種多様性がきわめて高い熱帯や温帯域の浅海域においては、多様なニッチの存在により駆動される生態的種分化が主要な機構である可能性があります。クマノミ類は、イソギンチャクと共生で非常に有名な魚類ですが、クマノミ類の種多様化はイソギンチャクへの共生能の進化によって駆動された適応放散によって生じたことが示唆されています。また、温帯域に生息するメバルには3種存在(アカメバル、シロメバル、クロメバル)することが近年判明し、分類学的にも命名されていますが、この3種は進化的に非常に若い種であること、生息場所ニッチの違いが存在することが示唆されています。したがって、これらのモデル系の特徴は浅海域における種多様化機構の理解に大きく役立つものと考えられます。現在、このような文脈で、クマノミ類の適応放散を駆動する表現型多様化の進化遺伝基盤やメバル3種の種分化ゲノミクスに関する研究を進めています。

魚類における多様な表現型適応の生態ゲノミクス

多様な水域に進出した野生魚類には様々な表現型において驚くべき適応進化が認められますが、このような多様な表現型適応の生態遺伝機構の解明に取り組んでいます。このような非モデル魚類を対象とした遺伝子レベルでの表現型研究はこれまでは困難でしたが、近年の生物学技術の革新は大きく状況を変えつつあります。具体的には、琵琶湖のヒガイ類に認められるカウンターシェーディング色彩の多型や淡水性二枚貝類に繁殖寄生することで有名なタナゴ類に認められる雌の繁殖形質(卵形や産卵管長)の多様性に関するテーマを実施しているところです。

現在実施中の研究プロジェクト(栗原)

藻類(そうるい)と聞いてどのような生き物を思い浮かべますか? 沿岸に生育するコンブやヒジキ、汽水域のアオノリといった海産の大型藻類(海藻類)を思い浮かべる方がほとんどだと思います。私は永らく海産の大型藻類(いわゆる海藻)の系統分類に携わってきました。海藻といっても、浅所から深所(海域によっては約100m)の岩石上、無脊椎動物(サンゴや海綿動物)、海藻に内生、寄生するなど生育環境も多様性に富んでいます。一方、湧水起源の清澄な河川で生育する淡水大型藻は1割弱しか占めないものの、生息地の環境改変の影響もあり生息地が減少しており希少種が多いのが特徴です。大型藻類は、陸上植物と比較すると着生基質と光環境の制限が厳しい水圏で多様化してきた生物です。その中で、大型藻類が種多様性、多様性創生、個体群維持(あるいは喪失)のメカニズムの理解を通して、されているメカニズムがどのように維持されているかに興味を持ち、現在は以下に示すテーマで研究を行っています。

淡水大型紅藻の個体群維持機構解明

希少種であるオキチモズクの生育地は九州に多く、その分布は局所的かつ限定的です。近年は各地で個体群の縮小傾向、消失が起きていることから遺伝的多様性の低下が危惧されています。一方、保全に向けた取り組みとして生育環境を効果的に整備するには、本種の至適環境を整えてやる必要があります。本種は、「湧水がそそぐ、流れの緩やかな清澄な河川で、やや薄暗い光環境を好む」とされていますが、いかにも抽象的すぎて具体性に欠けています。本研究課題では、個体群の維持に適した景観管理の模索、及び遺伝的多様性の実態解明を追究します。具体的には、本種の生態を理解するうえで鍵となる生育地の光環境に対し、刻一刻と変化する光環境の実態を把握するため、新たに開発する低価格デジタルデバイスを用いた多地点同時解析を通して、生育の長期・積算的な指標(生育密度、藻体長)と瞬間的な指標(光合成、光阻害、水温)、各種物理環境との相関を検証することで、個体群の維持に支障をきたす恐れのある環境要因、および景観を特定することを目指します。九州大学伊都キャンパス内を流れる幸川をモデル河川として研究を行っています。さらに、マイクロサテライトを用いた遺伝的多様性解析により、本種の個体群間・内の遺伝的流動の有無、遺伝的多様性の程度を明らかにし、個体群の持続可能性を評価しようとしています。

淡水大型藻類の遺伝的多様性研究

褐藻、紅藻、アオサ藻に代表される大型藻類の多くは海域で多様化したのに対し、淡水に進出したのはごく一部の分類群に限られています。紅藻類ではチスジノリ目やカワモズク目、車軸藻ではシャジクモ目が多様化に成功したグループですが、これらの多くは生育環境の劣化に伴い生育地の減少が続いており、近い将来の種の絶滅が危惧されるものも少なくないのが現状です。一方、淡水紅藻の記載分類学的研究は、熊野茂博士によりやりつくされた感がありましたが、近年の欧米研究者らを中心とした網羅的な分子系統学的研究の成果として、分類体系の大幅な改定が進行中です。我々も国内の研究者らと協力し、国産淡水紅藻の種分類の見直しを行っています。

深所性海藻の種多様性研究

地球規模の環境変動は生物の生息環境・生存に大きな影を落としています。海水温の上昇による藻場の衰退・分布縮小、海藻相の種組成の変化、あるいは分布域の変化(北上)など様々な変化をもたらしています。長期的なモニタリングの必要性が高まっていますが、その多くは一般的なスキューバ潜水技術で到達可能な水深帯が研究対象とされます。その分、深所性海藻の種多様性研究は後れをとっています。藻類にとって、低光量である深所は透明度の低下の影響をうけるシビアな環境であるは反面、表層ほど水温変動の影響を受けにくい安定的な環境と言えるかもしれません。現在は、アオサ科を使って光合成色素組成の観点から明暗異なる光環境への生理学的機構について、クロシオメを材料に本種の分布特性とコンブ目内における系統進化について研究を行っています。

「微細な」多細胞性藻類の分類学的研究

個人的な興味で地道に進めている研究です。多細胞性の藻類なので「大型」藻類に分類されますが、いわゆる肉眼的なサイズのものではなく、顕微鏡サイズの海産、淡水産藻類の記載分類学を行っています。岩やコンクリート、コケ類などに着生したり、他の大型藻類に内生したりと普段人目につかず、それ故に未記載種であったりするものを探しています。環境DNAやメタバーコーディングによる種多様性研究も近年は盛んですが、やはり実体を知りたいじゃないですか。形態観察と分子系統解析を行うためにも、粗培養と単離を繰り返して培養株を確立することが何より重要です。

現在実施中の研究プロジェクト(望岡・松重)

私たちの研究グループでは、かば焼でおなじみのニホンウナギを対象としています。河川・沿岸域における生態調査を通して、人為的環境改変による本種への影響の解明や、保全方策の効果検証を進めています。

河川・沿岸域におけるニホンウナギの生息地利用とその多様性

ニホンウナギは1970年代から個体数を大きく減らしており、その一因として河川・沿岸域の人為的環境改変が指摘されています。ではいったい、本種は本来どのような環境を選好し、環境改変によってどのような影響を受けているのでしょうか。そして、好適な生息環境を取り戻すためにはどのような保全方策が効果的なのでしょうか。本種は、変態を繰り返しながら産卵場-成育場間の数千kmを一生で旅します。私たちが対象とする河川・沿岸域は成育場にあたり、シラスウナギから銀ウナギまで、それぞれ生態の異なる複数の発育ステージの個体が生息します。そこで私たちの研究では、電気ショッカーや石倉カゴなどの定量採集手法、耳石微量元素分析、水槽での行動試験などを用いて、各発育ステージの個体の生息地利用やその生態的意義の解明、生息環境の保全に向けた方策の効果検証を進めています。また、本種は本来、沿岸域から河川上流部までの多様な環境に生息し、個体間で大きく異なる生息地利用を示すことが知られています。このような個体間での生息地利用の多様性が創出されるメカニズムを調べることで、養殖個体の局所的な放流や、ダムや堰による河川の分断が本種へ与える影響の解明を目指しています。