海洋資源化学研究室

研究内容

 私達は、糖脂質・脂質の代謝に関与する酵素の構造と生物機能の解明を目指して研究を進めて来ました。最近では、ラビリンチュラ類のドラフトゲノム解析に基づいた、糖脂質・脂質の代謝機構の全体像の解明やその改変による代謝変異株の取得にも力を入れています。ラビリンチュラ類は、医薬品、サプリメント、バイオ燃料の生産源として注目を集める海洋微生物です。また、糖鎖を介した病原細菌の感染機構の解明及び病原真菌の糖脂質代謝を標的にした新しい抗真菌薬の開発も行っています。これらの研究の幾つかは、企業との共同研究を通して成果の社会還元を目指しています。私達の研究成果が今世紀の人類が直面している健康とエネルギーに関する諸課題の解決に少しでも貢献できればと考えています。具体的な研究項目は以下の通りです。

I. 海洋真核微生物ラビリンチュラ類のグローバルな糖脂質・脂質代謝系の解明と有用脂質生産プラットホームの構築

  1. 形質転換系、遺伝子破壊系の構築に関する研究
  2. 高度不飽和脂肪酸(PUFA)合成系と代謝(β酸化)系に関する研究
  3. グリセロリン脂質及び中性脂質の合成系と分解系に関する研究
  4. スフィンゴ脂質合成系と分解系に関する研究
  5. 糖脂質合成系と分解系に関する研究
  6. 油球(油滴)の形成と維持機構に関する研究

II. 糖脂質、スフィンゴ脂質代謝酵素の構造と機能の解明

  1. エンドグリコセラミダーゼとその関連酵素に関する研究
  2. 糖脂質合成酵素に関する研究
  3. セラミダーゼに関する研究
  4. スフィンゴ脂質セラミドN-デアシラーゼに関する研究

III. 感染症における糖脂質、スフィンゴ脂質の機能の解明

  1. 緑膿菌セラミダーゼの発現と病原性に関する研究
  2. 病原性真菌類の糖脂質代謝と新しい抗真菌薬ターゲットに関する研究

コラム:スフィンクスの謎

 ドイツの神経化学者Tudicumは、スフィンゴシン塩基を分子内に含む一連の複合脂質をヒト脳から単離し、スフィンゴ脂質(Sphingolipid)と名付けました。スフィンゴ脂質のスフィンゴは、ギリシャ神話に出てくる謎かけの怪獣"スフィンクス"に由来しているといわれています。スフィンゴ脂質の代表は、スフィンゴ糖脂質とスフィンゴミエリンです。両者は主として脊椎動物の細胞表面において、セラミドとよばれる脂質部分を膜に埋没させ、親水性部分を外界に突き出して存在しています。これらの複合脂質分子は、細胞間の認識や相互作用に重要な役割を果たしていると考えられています。また、スフィンゴ糖脂質は病原性大腸菌0157やインフルエンザウイルスが感染する際の宿主側のレセプターであることが証明され、スフィンゴ糖脂質の構造を真似た感染阻害剤の開発も急ピッチで進められています。最近になって、スフィンゴ脂質の分解代謝産物であるセラミド、スフィンゴシン及びそのリン酸化物スフィンゴシン-1-リン酸が細胞の生死や細胞内の情報伝達に重要な役割を果たしていることが示され、スフィンゴ脂質の研究は新しい局面を迎えています。私たちの研究室は、スフィンゴ(糖)脂質に作用する新しい酵素(エンドグリコセラミダーゼ、スフィンゴ脂質セラミドN-デアシラーゼ、中性セラミダーゼ)を開発し、それらの遺伝子クローニングに世界に先駆けて成功しています。今後は、これらの酵素を利用したり、酵素遺伝子を欠失・改変した細胞・動物を作製することで、謎に満ちたスフィンゴ脂質の生物学的機能の解明に挑戦したいと考えています。

コラム:ラビリンチュラ類

 ラビリンチュラ類とは

 ラビリンチュラ類は海洋に生息する真核性微生物です。葉緑体を持たず、海洋の有機物を分解、吸収する従属性の単細胞生物です。分類学的には、原生生物に属し、卵菌類などとともにストラメノバイル類と呼ばれる一大系統群を構成しています。ラビリンチュラ類は、狭義のラビリンチュラ科とヤブレツボカビ科から構成され、前者はラビリンチュラ属1属、後者はオーランチオキトリウム属、スラウストキトリウム属、パエリティキトリウム属等の11属に分類されています。因に、ラビリンチュラの語源は、ラビリンス(迷宮)と云われています。ある種のラビリンチュラ類を培養すると網目状の外質ネットを形成し、それが迷宮のように見えることから命名されたものだと推測されます。

 なぜラビリンチュラ類に注目するのでしょうか

 ラビリンチュラ類は、DHA等の高度不飽和脂肪酸、パルミチン酸等の飽和脂肪酸、スクアレン等の炭化水素の生産力に優れ、それらを細胞内の油球(油滴)に大量に蓄積することが出来ます。そのため、医薬品、機能性食品、バイオエネルギーの生産源として産業的にも深い関心が寄せられています。例えば、ラビリンチュラ類の1種であるオーランチオキトリウムは石油を作る藻として注目されていますし、青魚から工業的に生産されているn-3 高度不飽和脂肪酸の代替生産源としても開発が進められています。また、DHA等を多量に油球に含むモデル細胞として、学術的にも興味が持たれます。

 私達はラビリンチュラ類の何を明らかにし、何をしようとしているのでしょうか。

 私達は、ラビリンチュラ類を産業微生物として活用するために、形質転換系の開発、ドラフトゲノム解析、マイクロイアレイ解析等の基盤技術の開発を行って来ました。また、それらの技術基盤(プラットホーム)を活用して、DHA等の高度不飽和脂肪酸 (PUFA) の生合成経路を解明しました。興味深いことに、DHAを合成できないラビリンチュラ類は低温時に増殖が低下することも分かりました。さらに、ラビリンチュラ類を分子育種することで有用な脂肪酸を合成することが出来ることも示しました。合成されたPUFAは、リン脂質として形質膜に、トリアシルグリセロールとして油球に蓄積されます。今後は、PUFAがどのようにしてリン脂質やトリアシルグリセロールに組み込まれ、どのようにして油球に蓄積されるのかを明らかにしたいと考えています。また、ラビリンチュラ類には、ユニークな構造の糖脂質やスフィンゴ脂質が存在することを見つけています。特定の構造のスフィンゴ脂質は油球の形成にも関与していることが分かりました。

 このように私達はラビンリンチュラ類の脂質代謝系を統合的に理解することを目指しています。今後は、私達が開発した基盤技術や蓄積している新しい知見を活用し、ラビリンチュラ類を医薬品、機能性食品、バイオエネルギー源として人類の福祉に貢献する海洋微生物に育て上げたいと考えています。ラビリンチュラ類は海からの人類への素晴らしい贈り物だと思います。