九州大学大学院生物資源環境科学府 微生物遺伝子工学研究室

研究内容

 一般に、単細胞である微生物はµmサイズの細胞、nmサイズの器官を持つため、私たちの目には見えませんが、その種類・数は無限大に近いと考えられます。人類は太古より微生物の力を借りて、酒、味噌・醤油、チーズ・ヨーグルトなど様々な食品をはじめ、生活のあらゆる面に利用してきました。バイオテクノロジーが発展してきた現代では、微生物細胞全体を工場として使うだけでなく、酵素などの細胞のパーツや代謝産物を改変し、大量生産して利用できます。その利用範囲も、食品だけでなく、医療、製薬、洗剤やプラスチック類などのコモディティー製品、バイオレメディエーションなどの環境浄化、バイオ燃料や微生物電池などエネルギー生産、レアメタルなどの資源回収をはじめ、私たちの生活のありとあらゆる所に広がっています。
 近年、様々な環境から多種多様な微生物が遺伝子資源として分離され、それらのゲノム解析が急速に進行しています。その膨大なゲノム情報を活用した遺伝子と遺伝子産物であるタンパク質、酵素の機能と構造解析、産業応用などにおける研究・開発の発展は目覚しく、比較ゲノミクス、プロテオーム解析、システムバイオロジー、ミニマムゲノムファクトリーなどの新しい研究分野がポストゲノム研究として急速に拡大しつつあります。
 私たち微生物遺伝子資源学研究室では、微生物を対象として、その特徴的な生命現象を原子、分子から細胞レベルまで統合的に解析し、無限の可能性を秘める微生物の遺伝子機能の開発と高度利用による生物生産の飛躍的向上を目指し、一貫した教育および研究を行っています。特に、九州地方に多数ある温泉や牧草地などあらゆる環境から、細菌、アーキア、ファージ・ウイルスなどの微生物を探索・培養し、その特性とゲノム・タンパク質構造を解析し、有用遺伝子資源として私たちの生活を豊かにする微生物機能や産物を創出することを目的とした研究を進めています。

1. 遺伝子資源としての極限環境ウイルスの探索と特性解析

【キーワード】好熱菌、ファージ、ウイルス、宿主域、耐性、ゲノム、水平伝播、遺伝子進化、Thermus属Geobacillus属Sulfolobus属、CRISPR/Cas

 ウイルスはタンパク質と核酸(DNAまたはRNA)のみで構成される地球上で最も単純な生命体です。地球上に生息するウイルス数は1031個と見積もられており、それらの多くは原核生物を宿主とするウイルスであるバクテリオファージ(ファージ)であることが示唆されています。ファージは、地球上に1億種以上が存在すると推測されており、環境中の物質循環に不可欠な存在であると考えられています。このような厖大な種類の存在が示唆されているファージですが、その詳細な生態や感染メカニズムは不明な点が多いのが実情です。
 特に、原始地球に類似した環境といわれる地熱域には未知のファージが多数存在すると考えられ、それらの性質は大腸菌ファージなどの常温菌ファージにはない耐熱性や耐酸・耐アルカリ性、耐塩性などが考えられます。そこで、私たちは「なぜ、生命は極限環境に耐え、そして、温暖な環境下で生存できるまで進化できたのか」、「それぞれの極限環境に適応できるための生命の戦略は核酸上にコードされていたのか、それとも、タンパク質が機能を担い、核酸を保護していたのか」の謎を解き明かすために、地熱域から好熱性ファージや超好熱アーキアに感染する超好熱ウイルスを探索して、その性状やゲノム構造、タンパク質構造を明らかにしています。ファージのような染色体外遺伝因子は、宿主より古い遺伝情報を保有すると共に、遺伝子の水平伝播にも機能していることが知られていることから、私たちは臨海熱水湧出域からファージを分離し、その特性を評価し、ゲノム構造を解析すると共に、遺伝子資源としての活用を目指しています。
 これまでにThermus属、Geobacillus属などの高度好熱菌やSulfolobus属などの超好熱好酸性アーキアに感染するファージ・ウイルスを多数分離して解析を行っています。これらのゲノム上には、常温菌ファージの遺伝子とは全く異なる遺伝子が多数存在しており、これらが耐熱性、高温での感染性に重要な役割を果たしていると考えています。また、これら細菌のCRISPR/Casシステムの研究によって、極限環境における宿主細胞とウイルスまたはファージとの相互作用を明らかにすると共に、感染後のウイルスゲノムの複製、転写、翻訳およびウイルス粒子タンパク質のアセンブリー、溶菌に至る過程を明らかにしようとしています。

当研究室で分離した極限環境ウイルスの電子顕微鏡写真。左からSiphoviridaeに属するΦOH1, Myoviridaeに属するΦOH2、Inoviridaeに属するΦOH16とΦKJ4、Fuselloviridaeに属するSSVx

2. 極限環境ウイルス由来溶菌酵素を用いたファージセラピー

【キーワード】ファージセラピー、溶菌酵素、耐熱性、Endolysin

 ウイルスおよびファージは宿主微生物に感染し、宿主細胞内で増殖後に娘ウイルス粒子または娘ファージ粒子を細胞外に放出します。その際、多くのウイルスおよびファージは、溶菌酵素(endolysinなど)によって宿主細胞を破壊します。この特性を利用した細菌感染症の治療法としてファージセラピーが考案されています。私たちは溶菌酵素やファージの特性に着目し、多方面の産業分野でのファージセラピーの利用を目指しています。
 好熱性ファージゲノム上にコードされているendolysinは80℃の加熱処理で90%以上、100℃の加熱でも40%の残存活性がみられ、pH5~10でも高い安定性を示した他、いくつかのグラム陽性・陰性菌に対して溶菌活性が認められることから、幅広い菌種で利用可能です。これらの特性を基に、多剤耐性菌、食中毒菌、ニキビ菌の殺菌・除菌への利用開発を試みています。

各温度における耐熱性溶菌酵素の活性。本酵素の耐熱性は非常に高く、100℃の加熱でも活性を保っていた。
このため、過酷な環境での安定的な使用が期待できる。

3. ファージ溶菌酵素holinによるガン細胞のアポトーシス誘導

【キーワード】Holin、MOMP、アポトーシス、ガン遺伝子治療

 近年、ガンの遺伝子治療について様々な研究が行われていますが、依然として安全かつ効果的にガン細胞を死滅させる能力を有する新たな遺伝子または遺伝子産物が必要とされています。
 私たちはその候補として、好熱性ファージ由来の溶菌酵素Holinを研究しています。Holinは宿主細菌の細胞膜に重合し、穿孔することで溶菌を誘導します。一方、動物細胞では、Bax/Bakタンパク質がミトコンドリア外膜に孔をあけ、ミトコンドリア外膜透過性(MOMP)を亢進することでアポトーシスを誘導します。私たちは、この一見異なるMOMP亢進と溶菌との間に、細胞膜穿孔による細胞致死という類似点を見出し、ガン細胞内でHolinを発現させることで、MOMP亢進によるアポトーシスが誘導できるか検討し、Holinを用いた新規ガン遺伝子治療への応用を試みています。これまでに、ヒト肺ガン細胞A549でのHolinタンパク質発現によってアポトーシス誘導が確認できたので、ヒト肝ガン細胞HepG2へのHolinタンパク質発現とその影響についても検討しています。
 これらの研究を通じて、細菌細胞と動物細胞における「細胞死」の類似点、相違点を分子レベルで明らかにすると共に、分子微生物学から分子細胞学へ、そして、新たな医療シーズの探索へと繋げていきたいと考えています。

Holinを用いた新規ガン遺伝子治療への応用。(上)動物細胞ミトコンドリア内のMOMP亢進と細菌細胞の溶菌との間に、細胞膜穿孔による細胞致死という類似点があることから、ガン細胞内でHolinを発現させることで、MOMP亢進によるアポトーシスが誘導できるか検討している。(下)Holinによるガン細胞致死の様子。左はホリン遺伝子非発現細胞、右はHolin遺伝子発現細胞。Holin現誘導によって、細胞数が明らかに減少している。

4. 植物病原菌ファージを用いた生物防除法の開発

【キーワード】植物病原菌、ファージ、生物農薬

 食の安心・安全が求められる今日、農業技術は日々進歩し多種多様な農薬や生育促進剤が開発されています。それにも関わらず、植物病害の被害は今なお深刻で、毎年10~15%の食糧が植物病害によって失われています。このため、多くの開発途上国では農薬の過剰使用が続き、農業従事者だけでなく、消費者にも大きな影響を及ぼしています。
 私たちの研究室では、植物病原性細菌のファージを単離し、これらを用いた代替農薬としてのファージ農薬の開発を行っています。現在、野菜軟腐病菌に感染・溶菌するファージを単離し、安定性・抗菌性などを調べています。これらの研究によって、植物を病原性細菌から保護し、農薬の過剰使用を抑制できる技術開発に貢献したいと考えています。

植物病原性細菌を溶菌するMyoviridaeに属するファージΦM4

5. 地熱環境における好熱性細菌の生物鉱化現象の解明

【キーワード】Thermus属、ケイ素、バイオミネラリゼーション、シリカスケール、地熱発電

 地球上に最も多く存在する元素であるシリカは地殻の約60%を占め、シリカ沈殿は多くの地熱環境において観察できます。自然環境では、熱水湧出域などでシンターと呼ばれるシリカ沈殿物が、また、地熱発電所でみられるシリカ沈殿物(シリカスケール)は、熱水輸送パイプを閉塞させて発電効率を著しく低下させます。これらの沈殿物中には非晶質シリカに付着した微生物様構造が多数見られます。
 私たちはシリカスケールから、高度好熱菌であるThermus属を主菌相とする多数の好熱菌DNAを分離しました。シリカスケールから単離したThermus属細菌を、飽和濃度を超えるシリカを加えて培養するとシリカ沈殿物の形成が認められ、その菌体表層タンパク質を抽出したところ、過飽和シリカ存在下でのみ、特異的に生産されるタンパク質(シリカ誘導性タンパク質(Silica-induced protein; Sip))を発見しました。
 シリカ刺激によるタンパク質の生産は藍藻の一種でも報告されており、この場合も過飽和シリカ存在下でのみ、膜タンパク質の発現が報告されています。このようにシリカ沈殿に特定の生体高分子が関与している可能性が指摘されており、細菌は意図的にシリカを沈殿させていることも考えらます。

(上) Thermus属細菌によるシリカ沈殿現象の模式図。(下左から)シリカスケールの走査型電子鏡写真、シリカスケールとバイオシリカのXRD解析、シリカスケールより単離された Thermus thermophilus TMY株の電子顕微鏡写真、TMY株が生産するSipの二次元電気泳動写真

6. Thermus属細菌の環境応答を利用した発現システムの開発

【キーワード】Thermus属、Fur、プロモーター、発現系、好熱菌発現ベクター

 Thermus属細菌は過飽和シリカによって誘導されるSipを産生します。これまでの研究で、SipはFe輸送にかかわるABC transporterの構成成分であると推定されており、鉄濃度依存的な転写因子であるFerric uptake regulator (Fur)がsipプロモーター領域と相互作用することが明らかとなっています。これらのことから、Sipは過飽和シリカ存在下で形成される、負に帯電したコロイドシリカに溶存鉄イオンが吸着し、結果として鉄飢餓が引き起こされるため発現が誘導されるものと推測されています。シリカ濃度依存的にFurが作用することは、これまでのところThermus属細菌でしか確認されていませんが、Furによる転写制御機構は大腸菌をはじめとする様々な細菌が有しており、シリカによるタンパク質発現誘導は広く細菌に共通するものであると考えられます。
 そこで、本現象を利用して大腸菌におけるシリカ誘導性異種タンパク質発現システムを構築しています。大腸菌プロモーター-Furカセットに毒性タンパク質遺伝子をクローニングした発現系において、非誘導時の増殖はコントロールとほぼ変化がなく、基底レベルでの発現が強く抑えられていることが確認され、誘導時には組換えタンパク質が著量生産されました。今後、さらなる改良を加え、シリカ誘導性異種タンパク質発現システムを開発していく予定です。

Thermus属細菌のシリカ応答を利用した発現システムの開発。(上)sip転写開始点解析と結果から推測されたプロモーター領域。ノーザンハイブリダイゼーションによるシリカによる転写誘導解析(下)各誘導条件下でのレポーター遺伝子産物(GFP)の相対発現量。写真はシリカによって誘導されたGFP。

7. 産業利用に有用な乳酸菌、放線菌遺伝子資源の開拓

【キーワード】乳酸菌、サイレージ、分子系統解析、Streptomyces、分化制御、プラスミド、ファージ

 本研究室では、産業上重要な放線菌及び、乳酸菌について探索、評価、利用開発を進めています。乳酸菌は、「プロバイオティクス」や「バイオプリザベーション」等の用語に代表されるように近年、最も注目されている菌群の一つです。我々は特にサイレージなど乳酸発酵産物中に生息する乳酸菌に着目し、高温適応性・耐酸性・高水分適応性・抗菌活性・ファージ耐性・プロバイオティクス能やバイオプリザベーションの代表例であるバクテリオシン生産性など有用物質の検出と利用、乳酸菌のファージ及び、プラスミドベクターの開発と改良などを中心に乳酸菌の分子育種を行っています。このため、沖縄、タイ、ルアンダなどの高温多湿地域で良好な生育と乳酸生産、抗菌物質生産を行う乳酸菌の分離に成功し、これらについて分子生物学、生化学的指標を用いた分類・同定を行っています。また、これら乳酸菌に感染するファージを分離・同定し、それらを応用したファージタイピングや遺伝子工学ツールの開発を行っています。
 放線菌は原核生物でありながら、真核生物あるカビ類のような複雑な形態分化(気菌系・外生胞子形成)を行うと共に抗生物質をはじめとする様々な二次代謝物を生産する代謝分化を行っています。これらの分化は、複雑かつ緻密なネットワークの構造と機能について、(1)膜貫通を伴うDNA転移酵素の究明、(2)形態分化・代謝分化に関わる新規遺伝子の発見と機能解析、(3)形態分化促進物質の作用機構の解明、(4)染色体寄生因子の構造・機能解析と利用開発等の研究を行っています。これらの成果から、複雑な分化過程やDNA転移の分子メカニズムを解明でき、細菌と真菌の境界微生物である放線菌の生命過程の解明や、新規生理活性物質の探索や効率的物質生産に繋げられることが期待できます。

GFPをレポーターとしたStreptomyces属放線菌の遺伝子発現の共焦点レーザー顕微鏡写真

8. 乳酸菌のD-アミノ酸生産機構の解明とD-アミノ酸の生理的役割の解明

【キーワード】D-アミノ酸、乳酸菌、乳酸発酵、食味、生理機能、新機能性食品

 日本各地で生産される乳酸発酵漬け物は、乳酸発酵を行うことで、乳酸菌による整腸作用や発ガン物質の除去作用などの効果も期待され、機能性食品開発の視点からも研究が進められています。漬け物から単離された乳酸菌の中には、D-アミノ酸生産能の高いものが見出され、これらは漬け物の新たな味覚成分を生産している可能性があります。D-アミノ酸はヒトの老化(白内障やアルツハイマー症など)に関わる一方、美肌機能に重要な役割を果たす生体成分として注目を浴びています。
 私たちは、乳酸発酵過程におけるD-アミノ酸代謝機構の網羅的解析を行うため、D-アミノ酸生産性乳酸菌のD-アミノ酸代謝に関与する遺伝子の発現解析を行い、また、D-アミノ酸代謝に関わる酵素の特性解析を行っています。漬け物から単離されたLactobacillus otakiensisは、対数増殖期にD-分岐鎖アミノ酸を培地中に分泌し、これらD-分岐鎖アミノ酸は、分岐鎖アミノ酸特異的ラセマーゼによって合成されることがわかりました。本ラセマーゼは分岐鎖アミノ酸特異的にエピマー化反応を触媒することがわかり、また、本ラセマーゼ遺伝子は培地中にD-分岐鎖アミノ酸が分泌される対数増殖期ではなく、定常期において転写量が増加していることもわかりました。そこで、D-分岐鎖アミノ酸の局在と含量を調べたところ、対数増殖期と定常期での細胞壁中の分岐鎖アミノ酸組成が大きく異なることが分かりました。このことは、D-分岐鎖アミノ酸が乳酸菌の生育段階に応じて局在を変え、細胞維持や外部ストレスに対する耐性強化に機能していることを推測させます。
 これらの結果を踏まえ、D-分岐鎖アミノ酸特異的ラセマーゼの役割とD-分岐鎖アミノ酸代謝経路の解明の他に、発酵過程におけるD-アミノ酸の消長および乳酸菌相変動を解析すると共に、健康や食味に重要な役割を果たすD-アミノ酸大量生産法の開発を試みています。

(左)乳酸発酵物中から単離したLactobacillus属乳酸菌。(左)各乳酸菌株培養液中のD-アミノ酸濃度

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