テーマ紹介:アジア人の腸内微生物叢およびその代謝物の解析
ヒト腸内には数百種の細菌が総数にして約100兆個生息している。その腸内フローラと呼ばれる細菌群集は、宿主が摂取する食物の消化残渣を大腸にて代謝し、
宿主の健康に影響を与えている。よって、腸内フローラはヒトの第三の臓器とも言われており、医学分野を始め、多くの研究が最近盛んになされている。特に、
食との関係については、「何を食すると、どのような腸内細菌叢が構築され、それがどのように宿主の健康に影響を与えるか?」という疫学的な調査も盛んに行
われている。申請者はそのような研究ブームの中、アジア人の多様でユニークな食文化と健康長寿を誇るアジア人の腸内フローラに興味を持ち、アジア10か国の
共同研究者と研究コンソーシアム"Asian Microbiome Project"を設立し、その調査を行ってき
た。これまで第一期(5か国10都市の小学児童によるパイロットスタディー)、第二期(新生児から高齢者までを網羅した基盤データベースの構築)、第三期
(特定地域での詳細調査)を行ってきた。その結果、(1)アジア人の腸内フローラは発展途上国型と先進国型の二つに大きく分かれること、(2)国の食習慣を反映
した特徴が腸内フローラに見られること、(3)中でも日本人の腸内フローラはビフィズス菌を多く保有するなど特徴的であること、(4) 発展途上国では、食の西
欧化とともに短鎖脂肪酸の腸内発酵量が低減するなど、野菜・穀類を中心としていた頃に保持していた優良な腸内フローラの機能が失われつつあること、(5)日
本人においても高脂肪食や過度の飲酒習慣による腸内フローラの失調が確認されること、(6)アジア伝統食品の中には腸内フローラを優良化する成分が含まれる
こと、以上が示された。総じて、アジアの優良な食習慣が腸内フローラに反映されているものの、食の西欧化・近代化によりその崩壊が始まっており、レトロス
ペクティブにアジアの伝統食を研究しながら、食育と食創を展開させることの重要性が明確に示された。
1.第一期調査:アジア5か国10都市の小学児童303名の腸内フローラの解析
[Scientific Report, 2015, 5, 8397(文献1)に論文発表]
各国食文化を反映する食習慣を維持していると期待される、小学児童(7歳から11歳)を対象に、糞便細菌叢の解析を行った。調査国は日本、中国、台湾、タイ、インドネシアの5か国で、各国から都会と地方の2都市を選び、各都市25名から45名、計303名の健常児童を対象に、糞便をサンプリングし、その細菌叢解析を行った。各児童の菌種レベルの組成データを用いて、教師あり機械学習プログラムであるランダムフォレスト解析を行ったところ、興味深いことに、日本と中国とインドネシアの児童の腸内細菌叢は高い確率で判別可能なほどに固有の傾向を示した。一方、台湾の児童は中国と日本、タイの児童は中国とインドネシアの中間の特徴を有する傾向にあることが示された(図1)。
図1.アジア5か国10都市の小学児童303人の腸内細菌叢データを用いたランダムフォレスト解析。
303人の腸内細菌組成のデータを機械学習させ、細菌組成データから居住国の判別を行うアルゴリズムを作成した。その結果、日本人児童は97%、インドネシア児童は86%、中国児童は80%の確率で、居住国を判別することができた。つまり、その3か国の国民の大半が、その国固有の腸内フローラを有していると言える。
一方、菌科レベルで組成を比較したところ、大きな二つの特徴が見られた。日本の福岡と東京、台湾の台北と台中、中国の北京と蘭州、タイのバンコクの児童にはBacteroidaceae科やBifidobacteriaceae科の細菌が多いのに対し、インドネシアのジョグジャカルタとバリ、タイのコンケンの児童にはPrevotellaceae科の細菌が多く存在していた(図2)。さらにこの主成分分析上でクラスタリング解析を行った結果、Prevotellaceae科を多く含む細菌叢(Pタイプ)と、Bifidobacteriaceae科とBacteroidaceae科を多く含む細菌叢(BBタイプ)の2つのクラスターに分かれた。日本の子どもにおいては、調査した児童84名のうち83名がBBタイプであった。また興味深いことに、日本の児童はα多様性(各サンプルに含まれる菌の多様性)(図3)およびβ多様性(サンプル間の菌叢の多様性)(図4)ともに低く、細菌種の多様性に乏しく個人間で皆似通った細菌叢を有していることが示された。日本の児童には、このように似通ったBBタイプの細菌叢を導く何らかの強い要因が存在していることが示唆される。また、低い多様性は、高度に衛生的でコントロールされた食によるものでないかと想像される。この腸内環境が子どもの健康と成長に与える影響については、今後注目して観察していくべきであろう。
図2.アジア5か国10都市の小学児童303人の腸内細菌組成(科レベル)。
東南アジアの子どもは緑で示したプレボテラ科の細菌が多いのに対し、東アジアの子どもは黄色のビフィドバクテリア科とオレンジのバクテロイダカエ科が多い特徴を示した。特に、日本の児童は、東京、福岡ともにビフィドバクテリア科を多く保有している。
図3.アジア5か国10都市の小学児童の腸内フローラの多様度。
日本の子どもは、東京および福岡の両都市ともに、調べた3種類の多様度指数すべてで有意に低かった。つまり、日本の子どもの腸内に生息する細菌の種類は他のアジアの子どもに比べて少ない。
図4.アジア5か国10都市の小学児童の腸内フローラの多様度。
赤色が濃いほどサンプル間の腸内組成の類似度が高いことを示す。東京および福岡の子どは他国の子どもに比べて個人間の類似度が高い。つまり日本の子どもは皆似た細菌叢を有していると言える。
さらに各タイプの細菌叢の機能面についての特徴を知るために仮想メタゲノム解析であるPICRUSt解析を行った。
その結果Pタイプにはα-アミラーゼがより豊富に存在し、BBタイプはオリゴ糖の分解に携わるα-グルコシダーゼが
豊富であった(図5)。また、BBタイプは胆汁酸の脱抱合にかかわるcholoylglycine hydrolaseの遺伝子量がPタイ
プに比べて豊富であり、BBタイプの細菌叢において胆汁酸代謝が活発になっていることが予測された。一方、Pタイ
プに豊富に存在するPrevotella 属細菌は胆汁酸感受性であることが示されている。また、choloylglycine hydrolase
の遺伝子量と各サンプルから検出されたOTU数は負に相関しており、抗菌活性も有する胆汁酸量の代謝が盛んなBBタイプ
の腸管では、一部の細菌種が生存できなくなっていることが示唆される。
PタイプとBBタイプといった菌組成的にも機能的
にも異なる2つの腸内細菌叢タイプが生まれてきた要因には大変興味が持たれる。食因子、特に主食やその摂取法、あるい
は副食を含む全体的な食習慣は、このようなグローバルな細菌叢タイプの決定に強く関わっている考えられる。
図5.アジア5か国10都市の小学児童の腸内フローラにコードされる糖分解酵素および胆汁酸代謝酵素遺伝子量と主成分分析第一成分との相関。
デンプン分解酵素アミラーゼはPC1と正に相関している。つまりPタイプの腸内フローラには穀類由来のデンプンを分解する酵素が多いことが分かる。一方、胆汁酸代謝の鍵酵素であるコロイルグリシンヒドロラーゼはPC1と負に相関、つまりBBタイプの腸内フローラに多いことが分かる。Pタイプは穀類、特に難消化性デンプンを多く含むインディカ米などを多く食する子どもに形成され、BBタイプは高脂肪食の子どもに形成される傾向にあると言える。
2.第二期調査:アジア人腸内細菌叢の基盤データベース構築(論文投稿準備中)
新生児から高齢者までを対象に腸内細菌叢を網羅的に解析し、アジア人の腸内フローラの基盤データベースを構築することを目指している。乳幼児については、これまでにインドネシアの0歳から4歳までの118糞便サンプルと日本人の0歳から1歳までの202糞便サンプルの16S rRNA解析を終えている。小学児童から高齢者までの解析は、第一期調査の5か国に加えて、韓国およびモンゴルも加えてサンプリングを行い16S rRNA解析を行った。小学児童から高齢者までの500を超える菌叢データを用いて、各国ごとに年齢との相関を調べた。その結果、各国で共通して、年齢に相関して、Bifidobacteriumが減少し、Enterobacteriaceaeが増加する傾向が見られた。この二つの菌グループの年齢による変化は、他の多くの研究から報告があるが、アジア諸外国で共通してこの腸内細菌叢変化が確認されたことは大変興味深い。但し、この加齢に伴い見られる腸内菌叢の変化は飽くまでも全体的な傾向で、個人毎ではそのばらつきが大きく、その傾向を逸脱するサンプルも多い。よって、実際に、Bifidobacteriumの減少やEnterobacteriaceaeの増加が、個体の健康にどのように関わっているか、今後注目して研究を進めるべきポイントの一つであろう。
3.第三期調査①:フィリピンレイテ島小学児童の食と腸内細菌叢の調査
[Frontiers in Microbiology, 2017, 8, 197(文献2)に論文発表]
第三期調査では、食と腸内細菌叢の関連性を詳細に調べることを目的に、特定の地域に焦点を当て、腸内細菌叢調査と同時に詳細な食事調査を行っている。フィリピンレイテ島は、フィリピンで第8位の面積を有する島で、発展途上にある。調査したオルモックとバイバイはわずか60 kmほどの距離にあるが、オルモックは近代化が進んでいるのに対し、バイバイはまだそれほど近代化が進んでいない(図6A)。AMPでは、オルモックおよびバイバイに住む児童(7歳~9歳)それぞれ19名と24名を対象に糞便サンプルを回収し、第一期同様に細菌組成の解析を行った。同時に、137項目の食品の摂取頻度を問うアンケートによる食事調査を行った。糞便細菌叢解析の結果から、バイバイの児童はPタイプ(24人中21人)、オルモックの児童はBBタイプの細菌叢(19人中15人)が主体であった。食習慣のアンケート調査ではオルモックの児童はファストフードや肉、菓子類をバイバイの児童より多く消費しており、欧米的な食文化が浸透していることが伺えた(図6B)。バイバイの児童は脂質の摂取量が全エネルギー摂取量の18.1%であるのに対し、オルモックの児童は27.2%であった(図6C)。WHOの指針では脂質摂取は全食エネルギーの30%以下を推奨しているが、それを上回る児童も多く、肥満児も多く含まれていた。脂質摂取量はFirmicutes門/Bacteroidetes門(F/B)に正の相関を示し、Prevotella属は負の相関を示した(図7)。PICRUSt解析を行った結果、BBタイプには、脂質の吸収を援助する胆汁酸の代謝関連遺伝子がPタイプに比べてより集積されていることが示された。これはBBタイプの子どもの腸内に、より多くの脂質が供給されていることを間接的に示しており、先の食調査のデータに矛盾しない。一方、Pタイプにはアミラーゼに関連する遺伝子が、BBタイプに比べてより多く集積されていることが示された。穀類を多く摂取するアジアにおいては、デンプンの分解は腸管内においても重要な機能の一つであり、その機能がPタイプの細菌コミュニティーにより集積されているというシミュレーションの結果は注目すべき点である。
図6.フィリピン・レイテ島の子どもの食調査。
(A)調査した2都市の地図。(B)2都市の子どもの各食品目からのエネルギー摂取量。(C)2都市の子どもの3大栄養素摂取量比。都市部のオルモックの子どもは農村部のバイバイの子どもに比べて高脂肪食の西欧食を摂取する傾向にあることが分かる。
図7.7.フィリピン・レイテ島の子どもの脂肪摂取量と腸内細菌叢の関連性。(A)脂肪摂取量。(B)ファーミキューテス(F)とバクテロイデテス(B)の量比。(C)細菌科組成。
左側の低脂肪食の子どもはF/B比が低く、緑のプレボテラ科が多い細菌叢を有している。一方、右側の高脂肪食の子どもはF/B比が高く、青のラクノスピラセ科、水色のルミノコッカス科、オレンジのバクテロイダカエ科の多い細菌叢を有している。つまり高脂肪食になるに従い、F/B比の高い菌叢に変化していることが示唆される。
3.第三期調査②:タイ小学児童の食と腸内細菌叢の調査
[Frontiers in Microbiology, 2018; 9: 1345 (文献3) に論文発表]
上記、フィリピンレイテ島の調査に続いて、タイの小学児童の調査を行った。調査は、
近代化の著しいバンコクと未だに伝統的な生活様式が残るブリラムの2都市で行った。
ブリラムは、タイを代表する地方文化圏のイーサーン地方の一都市である。イーサーン
地方には、もち米を主食とし、ソムタン(パパイアサラダ)など野菜をおかずのメイン
とし、また発酵魚”プラーラ“や発酵肉”ナーム”などの発酵食品を添えたイーサーン
料理とよばれる固有の伝統的食習慣が存在する。本調査でも、ブリラムの子どもはバン
コクの子どもに比べて有意に、野菜の摂取量が多く、脂質の摂取量が低かった(図8)。
そして、脂質の摂取量に逆相関して、腸内に存在する細菌の多様性が高く、また便中の
短鎖脂肪酸濃度が高くなっていた(図9)。
短鎖脂肪酸は腸内細菌の一次代謝物で、宿主免疫系や作用し抗炎症作用を有し、また代謝
系に作用し代謝ホメオシスタシス制御に重要な働きを有することが知られている。よって
その不足は、肥満や糖尿病を始めとする生活習慣病の発病を誘起すると言われている。実
際にバンコクには肥満あるいは肥満傾向のBMI値を示す子どもが多かった。バンコクという、
都市化の進んだ子どもの腸内フローラが食の西欧化・近代化とともに偏倚し、従来の良好な
腸内フローラによる短鎖脂肪酸の発酵生産が不足してきている事実は、タイという新興国に
おける子どもの未来に警鐘を鳴らすものである。
図8.タイにおける都市部(BK:バンコク)と農村部(BR:ブリラム)の子どもの食調査。
(A)調査した2都市の地図。(B)2都市の子どもの各食品目からのエネルギー摂取量。(C)2都市の子どもの3大栄養素摂取量比。(D)2都市の子どもの間で摂取量に有意差があった栄養素。 農村部のブリラムの子どもは都市部のバンコクに比べて野菜中心の低脂肪食の食習慣を有する傾向にあることが分かる。
図9.タイのバンコクBKおよびブリラムBRの子どもの腸内フローラの多様性(A)と短鎖脂肪酸濃度(酪酸(B)およびプロピオン酸(C))。
(A)バンコクの子どもの腸内フローラはブリラムの子どもに比べて、多様性が低く、また短鎖脂肪酸濃度も低い。短鎖脂肪酸は抗炎症作用や代謝ホメオスタシスに重要な働きを有することから、バンコクの子どもの腸内フローラの傾向は今後注意が必要であると思われる。