有用微生物を研究対象とする農産製造学講座が開設されたのは1922年(大正11年)5月であり、同年8月に初代の講座担当教授として、欧米諸国の留学から3月に帰国した東京帝国大学助教授の湯川又夫が任命されて着任した。また、1918年(大正7年)に東京帝国大学農芸化学科を卒業し、台湾の帝国精糖株式会社に技師として勤務中であった山崎何恵が1923年(大正12年)2月に助教授として迎えられ、講座の態勢が整った。
湯川教授は、1906年(明治39年)に東京帝国大学農科大学農芸化学科を卒業以来、主として醤油酵母に関する研究を行っており、当講座担当後にも、Schizosaccharomyces japonicusという醤油酵母新種の同定をはじめとして、酵母類の血清学的分類、麦酒酵母からのインシュリン性物質の分離ならびにその性状など、酵母に関する研究が続けられた。これと並んで現在まで行われているものにアセトン・ブタノール発酵細菌に関する研究がある。湯川教授は1928年(昭和3年)から牧哲夫、堀江重美とともにアセトン・ブタノール発酵の工業化に関する研究を開始し、当初は日本海軍が英国から分離を受けたBacillus granulobacter pectinovorumを使用したが、やがてBacillus butanolo-acetoniと命名した新菌種を分離し、この菌を用いた同発酵の工業化が1931年(昭和6年)に実施された。これはわが国で初めてのアセトン・ブタノール発酵工業であり、この菌種はわが国で分離されて工業的に用いられた最初のもので、1932年(昭和7年)に日本特許となっている。
1932年(昭和7年)に、湯川教授は朝鮮総督府農事試験場技師に任ぜられ、朝鮮総督府農事試験場場長(水原高等農林学校校長)も命ぜられ、同年2月九州帝国大学教授は兼任となり、山崎助教授が当講座の分担を命ぜられた。1938年(昭和13年)12月に湯川教授は定年退官し、翌年2月に名誉教授になられた。
1939年(昭和14年)5月、山崎助教授が教授に昇任して講座を担当することになり、助手であった冨安行雄が助教授になった。1942年(昭和17年)3月には、助手であった堀江重美が講師になった。酵母に関する研究は山崎助教授らに受け継がれて清酒酵母の生理についての研究が行われ、その後昇任した山崎教授によってSporobolomyces属赤色酵母菌の研究が開始された。一方、アセトン・ブタノール発酵については、本生産菌によるフラビンの生成を見いだし、その生成条件を研究した。この研究成果に対し、1941年(昭和16年)に農学賞が山崎教授に授けられた。さらに堀江講師によってアセトン・ブタノール発酵菌の生育・発酵因子の追求が行われた。冨安助教授は講師や副手としてアセトイン系化合物の発酵化学的研究を行い、助手就任前後から甘蔗アミラーゼの研究を実施し、1941年(昭和16年)にわが国が太平洋戦争に突入するにいたって需要が増したエタノールの発酵法による生産に対して、原料甘藷のアミラーゼを利用する蒸煮法の研究を行った。
1942年(昭和17年)11月、水産学科新設に伴い、冨安助教授は教授に昇任して水産化学第二講座を担当した。当農産製造学講座助教授には1943年(昭和18年)6月に東京帝国大学農学部農芸化学科を1936年(昭和11年)に卒業した当時東京帝国大学助手であった本江元吉が迎えられた。1945年(昭和20年)6月に農芸化学第四講座(資源微生物学講座)が増設されて、10月に初代教授として山崎教授が担当し、本江助教授もこれに移った。1950年(昭和25年)10月、湯川名誉教授が逝去して偉大な生涯を終えた。1954年(昭和29年)山崎教授は日本学術会議会員に就任した。この間、山崎教授は赤色酵母のシアン不感性呼吸系と同酵母のカロチノイド色素について研究を行った。1958年(昭和33年)3月に山崎教授は定年退官し、6月に名誉教授になられた。
1958年(昭和33年)10月に本江助教授が教授に昇任して当講座を担当し、翌年1月に上田誠之助助手が助教授に昇任し、林田晋策が助手となった。1962年(昭和37年)7月、山崎名誉教授が逝去して偉大な生涯を終えた。翌年4月には村田晃が助手となった。
1965年(昭和40年)4月に当講座の名称は農芸化学第四講座から発酵学講座に改められた。また、食糧化学工学科新設に伴って設けられた微生物工学講座を、1967年(昭和42年)7月に上田助教授が教授に昇任転出して担当した。当講座助教授には、1970年(昭和45年)5月に林田助手が昇任し、その1年前の9月には緒方靖哉が助手となった。
本江教授はアセトン・ブタノール発酵細菌について、ブタノールを従来の菌種より多量に生産する新菌種Clostridium saccharoperbutylacetonicumを分離命名して、日米仏の特許を得て工業的使用に成功した。本江教授と林田助手は、細菌汚染による黒麹菌アミラーゼの失活は細菌の細胞膜片によるアミラーゼの吸着に起因することを明らかにした。澱粉のα1,6-結合を切断するイソアミラーゼを生産する菌が上田助教授により検索され、放線菌の生成条件が検討設定され、工業化された。さらに上田助教授はPullularia属菌の多糖類(プルラン)生成に関する研究を行った。黒麹菌アミラーゼについても引き続き上田助教授と林田助手により詳細な研究が行われ、1960年(昭和35年)4月に「黒麹菌の澱粉分解酵素系に関する研究」で両人に日本農芸化学賞が授けられた。また本江教授、林田助教授らは清酒酵母のアルコール耐性および高濃度アルコールの生成要因が麹菌のプロテオリピドの酵母増殖促進と発酵維持等によることを明らかにして、清酒連続発酵の工業化に成功した。一方、本江教授と村田助手はC. saccharoperbutylacetonicumに感染するファージ群の性質を明らかにし、ファージ耐性菌株の交換使用や抗生物質使用によるファージ対策を呈示して予防対策の重要性を指摘した。その成果に対し、1967年(昭和42年)9月に両人に醗酵協会賞が授けられた。さらに翌年4月に、本江教授は「ブタノール菌とそのファージに関する研究」で日本農芸化学会鈴木賞を授けられた。緒方助手には1975年(昭和50年)3月に細胞内産生の溶菌酵素によるクロストリジウム属細菌の溶菌に関する研究で農芸化学奨励賞が授与された。1976年(昭和51年)4月に本江教授が定年退官され、同年5月に名誉教授になられた。
1976年(昭和51年)8月に林田助教授が教授に昇任し、翌年2月には緒方助手が助教授に昇任した。さらに1977年(昭和52年)2月には太田一良が助手に、翌年4月には吉野貞藏が助手となった。太田助手は1988年(昭和63年)7月に宮崎大学へと転出した。1989年(平成元年)6月に寺本祐司が助手となり、同年12月に熊本工業大学(現崇城大学)へと転出した。林田教授と太田助手、寺本助手は糸状菌類による結晶性多糖の分解機構の解明とバイオマスの高効率糖化システムの開発とともに、エタノール生産性の高い酵母菌であるSaccharomyces cerevisiae 1200株や w-y-2株などを単離した。また、麹菌プロテオリピド添加による酵母菌のエタノール耐性化機構や遅延性ホモタリズムなど酵母菌の生理現象の解明を行った。一方、林田教授、南里技官は、家畜糞を利用した微生物肥料や微生物殺菌剤の開発を行い、工業化に成功した。他方、林田教授、緒方助教授、吉野助手はアセトン・ブタノール発酵についてクロストリジウム菌での研究基盤として利用するためシャトルベクター開発を行った。さらに林田教授、緒方助教授は放線菌のポック形成機構やファージの探索や機能解明の研究を展開した。緒方助教授は、1987年(昭和62年)に新設された微生物遺伝子工学研究室の初代教授へと昇任した。1989年(平成元年)11月に微生物工業技術研究所(現産業技術総合研究所)から、古川謙介助教授が就任して、当研究室にてPCB(ポリ塩化ビフェニル)の微生物分解に関する研究が始まった。1994年(平成6年)3月に林田教授が定年退職して、同年5月に名誉教授になられた。
1994年(平成6年)6月に古川助教授が教授に昇任し、翌年1月に吉野助手が助教授に昇任した。古川教授はPCB(ポリ塩化ビフェニル)の微生物分解、脱ハロゲン呼吸偏性嫌気性細菌によるクロロエテン類の脱塩素化に関する基盤研究、すなわち微生物による難分解性有機塩素化合物の分解機構の解明を行った。また、シュードモナス属細菌のバイオテクノロジーを展開すべく、オキシゲナーゼの進化分子工学による機能改変による分解能の向上した酵素の開発や新規な有用化合物合成システムの開発を行った。これらの成果に対し2005年(平成17年)3月に古川教授へ日本農芸化学会功績賞が授けられた。一方、古川教授と吉野助教授はアセトン・ブタノール発酵に関する研究について、クロストリジウム菌による酸-ソルベント生産の代謝転換機構や高ブタノール生産菌の開発に取り組んだ。1995年(平成7年)4月に採用された後藤正利助手は、当講座で永年研究されてきた黒麹菌のグルコアミラーゼによる生デンプンの分解機構について、タンパク質工学、遺伝子工学の手法を取り入れ、デンプン吸着ドメインの機能を明らかにした。さらに糸状菌類の遺伝子工学宿主菌としてのシステム開発を行い、黒麹菌酵素の糖鎖の合成機構や役割についての研究を展開した。これらの成果に対して後藤助手は2006年(平成18年)3月に農芸化学奨励賞が授与された。同年1月に本江名誉教授が逝去して偉大な生涯を終えた。2007年(平成19年)3月に古川教授は定年退職され、同年5月に名誉教授になられた。
また、2007年(平成19年)年4月からは別府大学食物栄養科学部発酵食品学科の教授に就任され、引き続き応用微生物学に関する教育研究に携わっている。さらに古川名誉教授は、林田教授時代に単離されて研究室で保存されていたエタノール生産性の高い酵母菌株を用いて、2010年(平成22年)に九州大学ブランド焼酎「イモ九」を製造し発売された。
古川教授の後任として、2008年(平成20年)4月に香川大学農学部より竹川薫教授が就任した。また後藤助教は翌年4月、農学研究院に三和酒類株式会社の寄附により設立された未来創成微生物学講座の客員准教授に転任した。2010年(平成22年)3月に東京大学大学院農学生命科学研究科で学位を取得し、その後に英国のExeter大学で博士研究員を行っていた樋口裕次郎が2014年(平成26年)4月より助教として赴任した。2018年(平成30年)3月に吉野准教授は定年退職し、同年4月に後藤客員准教授は佐賀大学農学部に教授として転出した。樋口助教は黄麹菌の細胞内輸送の研究を推進しつつ、竹川教授とともに糖鎖関連酵素に関する研究を展開した。これらの成果に対して樋口助教は、2020年(令和2年)3月に農芸化学奨励賞を受賞し、翌年3月に准教授に昇任した。
現在の発酵化学講座は竹川教授により、主に酵母や糸状菌による異種タンパク質などの有用物質生産システムの構築、微生物由来のグリコシダーゼを用いた糖タンパク質糖鎖部分の機能および構造解析に関する研究、真核微生物の細胞内オルガネラの形成機構および小胞輸送機構の解明等を中心に研究を展開しており、応用微生物学に関する教育研究を行っている。
発酵化学講座の研究の発展には、農産製造学講座が開設された1922年(大正11年)から100年以上に渡り研究室の関係者、多数の卒業生、学内外の共同研究者の協力により達成されたものである。発酵化学講座の出身者は博士号を取得した学生も非常に多く、多くの卒業生が大学教員として活躍している。さらに学士および修士課程を卒業して社会で活躍している人材も多い。
(参考:九州大学百年史)